小林秀雄「河上(徹太郎)の方が大事なんだ」

小林秀雄「河上(徹太郎)の方が大事なんだ」
野々上 慶一『ある回想―小林秀雄と河上徹太郎』新潮社 (23-27頁)
 身の廻りの整理や出発の準備などしているうちに春となり、初夏となった。私は、いよいよ東京を離れることとなり、小林秀雄、河上徹太郎、青山二郎の諸氏に、事情を話した。するとささやかでも、どうしても送別会をやろう、一晩飲み明そう、ということになった。そして場所は、まず銀座の寿司屋「久兵衛」、日時は、東京出発の前日と決まった。
 その夜、私がすこし遅れて久兵衛へ行くと、既に小林、河上両氏は来ていて、傍にやはり当時親しくつき合っていたピアニストの伊集院清三(後に斎藤秀雄に請われて、桐朋学園音楽科の事務長になり、戦後の音楽教育に尽力した)がいた。青山は、急に用が出来て、来れないとのことだった。そこで伊集院は下戸だったので、三人で飲みはじめた。
 私は、文学はじめ芸術一般に興味を持っていたが、文学に野心を抱いた文学青年ではなかった。だから文学の世界と縁が切れるということに、未練のようなものはなかったが、やはり心から親しくつき合ってもらい、雑誌発行につき一緒に苦労した小林さんや河上さんなど尊敬する文士とは別れ難い思いがあり、東京を遠く離れ、都会の灯とも縁切れになるかと思うと、妙に感傷的になり、久兵衛を出て馴染みのバーなど一軒々々ハシゴして飲み歩いているうちに、意識がなくなるほどひどく酩酊した。気が付くと、銀座から遠く品川遊郭近くの土手下の、夜明し飲み屋にいた。河上、伊集院の姿はなく、小林秀雄と二人切りだった。めっぽう酒の強い小林さんが私に、「オイ、大丈夫か、一杯どうだ」とお銚子を差し出し、「ボツボツ夜が明けるかも知れねえ、どうする?」と、酒を注いだ。私は、グッと一杯やったが、酔った頭で、もうどこも行きようもあるまい。インジュさん(伊集院清三のことを、親しいものはみなそう呼んでいた)のところ以外あるまい。私がそう言うと、そうしよう、ということになって、その頃目黒の旧競馬場の近くに住んでいた伊集院の家(彼は独身で、女中さんと二人で、かなり大きな家に住んでいた)に、円タクを飛ばして行った。ところが、ここでトンデモナイ事を目にするのである。
 二人が伊集院家を訪ねた時、無論、寐静まっていたが、玄関の戸をたたくと、ややして伊集院が出てきたが、ひどく困惑した顔をしているように思われた。しかし、委細構わず座敷に上り込んだ。女中さんが入いってきて、寐床を二つつくって呉れた。小林さんが隣り部屋のある側の寐床の蒲団(ふとん)の上に上衣を脱ぎ、何を思ってか、ふとしたように隣りとの境の襖をすっと開けた。私もしぜんその方に目を向けた。部屋は暗かったが、こちらからの電燈の光が射し、見ると蒲団のなかに男女が寐ていた。同衾(どうきん)しているのは、なんと河上徹太郎と坂本睦子ではないかーー。小林さんが、サッと襖をしめた。そして倒れるようにして、すっと寐床にもぐり込んでしまった。私は、どうするすべもなく、あわてて服を脱ぎ、床に入いった。
 つぶれるほど疲れて酔っていた私が、すっかり寐込んでしまい、目を覚した時、小林さんは居なくて、廊下を隔てたインジュさんのピアノの置いてある書斎で、話声がしていた。隣り部屋には、人の気配はなかった。
 若い私も、さすが二日酔気味で、迎え酒にやたらビールを飲んだが、小林さんも飲んでいた。特に変ったフシも感じられなかった。おそらくショックで、輾転反側まんじりともしなかった筈だが、私には小林さんの心の内はわからなかった。記憶に残るような会話もしなかった。夕方六時の汽車に乗るので、三人で家を出て、東京駅へ向った。
 プラットフォームに出ると、前夜預けてあった大きなトランクを提げて久兵衛が現われ、列車の中で召し上がってほしい、と寿司の折詰を差し出した。そこへ律儀な河上さんが姿を見せた。いつもより一層むっつりした顔付に見受けられた。
 やがて列車が来て、私は乗り込み、座席に座り、窓を開けた。間もなく発車のベルが鳴りはじめ、「元気でな」とか「さよなら」とか言い合っていたが、突然、小林秀雄がさっと走り出したと見る間に、動き出した列車に飛び乗った。あれッと驚いていると、車中の私の席の傍に来て、「大船まで俺も行く、君に話がある」と早口に言った。私は席を立ち、二人して食堂車に行き、テーブルについた。白服を着たボーイに酒を注文した。間もなくガラス瓶一合入り二本と、小さなガラスの盃が運ばれてきて、お互いに酒を注ぎ合った。それから黙って、ふたりとも手酌で二、三杯飲んだ。大船まで一時間足らずである。話って何だろう? ちょっと沈黙が続いたが。「なあ、慶ちゃん」と静かに小林さんが話し掛けてきた。私は、次の言葉を緊張して待った。「知っての通り、僕には女房も小さな児もいる。それでもムー公(坂本睦子)のこと忘れられない、好きなんだ。しかし僕は、キッパリと諦める。僕にはムー公より、河上の方が大事なんだ。おぼえておいてくれーー」ハッキリした口調だった。私は、何も言えず答えず、黙ってうなずいたようだった。心中、決然とした男だなァ、と思った。強い感銘を受けたのだ。
 車内放送が、間もなく大船に着くことを告げていた。小林さんは、「じゃあ元気でな、さようなら」とさっと席を立った。「小林さんもお元気で…」二人は握手をした。小林さんは足早に出口に向った。私は目で見送った。発車のベルが鳴った。窓のガラス戸越しに見ると、小林さんが手を振っている。私も手を振った。汽車は次第に速度を早め、小林さんの姿は、私の目から消えた。……
 小林さんの言った言葉は、五十数年経った今でも、私の胸に残って、消えることはない。

以下、
「いま最も気になる、坂本睦子という女性」
白洲正子「美神は常に嫉妬深い」
です。